豊郷地区の古墳


 豊郷地区の古墳は、宇都宮丘陵が田川によって南と北に分断された丘陵の尾根上に、瓦塚古墳群、宮下古墳群、谷口山古墳などが点在し、一部は消滅したものの、なお50余基に及ぶ古墳が確認できます。

 これらの古墳は、6世紀中ごろから後半にかけてのもので、被葬者は、田川・山田川周辺の流域の肥沃な農耕地を支配していた首長とその関係者の墓と考えられています。

 主なものは以下の通りです。

北山古墳群

 岩本町と瓦谷町にまたがる宇都宮市北山霊園の南・南東部に位置し、宇都宮丘陵が田川と田園で分断され、その北方に河内町に延びる丘陵の尾根に造られています。

 古墳群は、宮下古墳と5基の円墳、雷電山古墳、その南の権現山から成っており、築造期はいずれも6世紀の中期から後期のものと考えられています。

宮下古墳

 北山霊園に接して、丘陵の南端で、最も高い場所にある古墳で、全長43mの前方後円墳であって後円部の墳丘に遺体を埋葬した横穴式石室があります。奥に向かって左右の壁は数個の石を積み上げ、その隙間に粘土が詰められていました。

 出土品は、直刀、鉄製花形など。

宮下古墳の写真

雷電山古墳

 宮下古墳の約150メートル北東にある全長41メートルの前方後円墳で、後円部に横穴式石室があり盗掘にあい、東南に開口しています。

 石室は両袖型横穴式で全長6.3mで出土品は不明。

雷電山古墳の写真

権現山古墳

 雷電山古墳の南約100メートルの位置にあり、全長55メートル、前方部の幅28メートル の前方後円墳。

 後円部は、南側に袖無型横穴式石室が開口しており、凝灰岩の割石積みで、石室の全長は7.8mで盗掘によって開口しています。

 出土品は円筒埴輪数個と馬型埴輪など。

権現山古墳の写真

瓦塚古墳群

 長岡百穴古墳の北東約400メートルの丘陵の尾根と、その斜面に瓦塚古墳といわれる前方後円墳と四十数基の円墳から成っていましたが、一部は開発によって消滅しています。この古墳群は、古墳時代の6世紀後半の築造とされ、円墳については7世紀始めごろまでの築造と推定されています。

 主墳の瓦塚古墳は、二段に築造された全長45メートル、前方部の幅25メートル、後円部の幅20メートル、高さ3メートルで周囲には幅11メートル、深さ1.3メートルの周濠が確認されています。

 

 明治31年(1898年)の発掘では、墳丘には埴輪が2列に巡らされ、後円部墳丘上には中央に一大円筒埴輪1本が立てられ、他に馬型埴輪、人物埴輪も出土しました。

 後円部石室内部からは、直刀、刀子、鉄鏃、金輪、轡、水晶切子玉、瑠璃製小玉、師器、須恵器などが出土。埴輪については、人物埴輪の首その他の破片が出土するなど、その内容から豊郷地区の古墳の中で重要な地位を占めています。

 

 地元には、瓦塚古墳は宇都宮の守り神、宇都宮二荒山神社の祭神である豊城入彦命の墳墓と言い伝えられています。

瓦塚古墳群の清掃作業の様子の写真
瓦塚古墳群の清掃作業の様子の写真

谷口山古墳

 県道下岡本・上戸祭線(愛称 長岡街道)沿いの田川右岸丘陵の南斜面に築造されており、直径24メートルm、高さ2.8メートルの片袖型横穴式石室を有する円墳です。

 平成3年(1991年)の発掘調査により、人骨の出土状態や石室の床部分の状況から追葬が行われたことが判明しました。

 第一次埋葬の後、第二次埋葬の際に羨道部分は割り石と土砂によって一段高く整地し、新たに框石(まかちいし)を据えています。

 出土品は、直刀、耳輪、ガラス小玉、鉄鏃、刀子など。

谷口山古墳の写真